仕事の未来
どうやら、人間の思考力を人工知能が超えるも遠い未来の話ではなさそう。
ダイヤモンドのロボット特集を読んで、いろいろ見て考えたのだけど、30年後の未来はどうなるのか想像もつかないね。
例えば司法とか、人間が作ったもので人間が判断を下すような分野であれば、人工知能に取って代わられる可能性というのはそんなに高くない。
また、芸術なども感情に大きく依存しているため、すぐに代替されるということはないだろう。
すぐにでも代替されてしまうのは、自動運転の研究が進んできている運転手、ビッグデータで解析すれば精度良く判断ができてしまうような貸し出しの審査の仕事、ペッパー君によってすでに脅威にされられ始めている窓口業務など。
Web上の記事なんかだと、もうすでに自動作成のAIに仕事が奪われ始めてるなんて話も聞く。
ロボットに人間の仕事が奪われる!というのは昔からある話で、結構多くの人がその説を信じている。
しかし、人間の知能をロボットが超えてくると、逆にロボットが人間の仕事を生み出すという未来がやって来そう。
今自分がやっているのが、ファジーな問題を定義して、できる限り要素に分解して、下に流すような仕事なんだけど、そういうことをもっと高次元でロボットが出来るようになって、仕事が生み出されるというのはありそうだ。
技術の進歩のスピードは指数関数的に速くなっているので、それを予見するのは不可能になってきている。
なので、これからは変化への対応力というのが、そのままイコール仕事力になる時代なのかもしれない。
扶養ってなんですか?
最近、所得税の扶養控除をなくすとか物騒な話が世間を騒がせておりますが、そもそも扶養の定義をきちんと理解している人が、パソコンの仕組みを理解しているおじいちゃんばりに少ない。
なので、扶養とはなんぞやというのをここら辺ではっきりさせておきたい。
というかいちいち説明するのがめんどいので、理解している人が少しでもふえてほしい。
扶養に入れますか?と聞かれても、まずそこから説明しなくてはならなくてやれやれ┐(´ー`)┌という感じになる。
まず一つ目
所得税法における扶養っていうのは、所得金額が38万以下であるかどうかで判断する。
収入が給与だけであれば、65万の給与所得控除があるので、38+65でよくいう103万というのがボーダーラインになる。
つまり1月から12月までにもらった給与の合計(額面。交通費、社会保険の控除分などは含まない)が103万以下であれば、扶養に入ることができる。
夫婦の場合だと、少し特殊で配偶者控除となる。
金額は38万で変わらないのだけど、103万を少し超えてしまった場合でも、いきなり控除がゼロになるのではなく、配偶者特別控除というものに変わり所得が増えるにつれて段階的に控除額が減る仕組みになっている。(139万に達するまで)
つまり、夫婦であれば相手が103万を少し超えたくらいでは別にとやかく言うこともない。(ただし会社によっては扶養手当の対象が配偶者控除を受けられる103万までに限定しているところが多いのでそのが問題になる)
ふたつ目
しかしこれは前年の数字ではなく、あくまでこれから先の見込みで判断するので、入ってしまえばこちらのものというゴニョゴニョもある。
社会保険は、扶養に何人入れても保険料が変わらない仕組みなので、扶養から外れるイコールそのまま保険料分が負担増という形になる。(給与の月額だけで保険料が決まる仕組み)
保険料の目安は額面の14%だ。
それから逆算すると150万を越えるまではほとんどタダ働きみたいなものになる。
女性の労働力が103万の壁に阻まれているというところに着目して、その壁をなくせば女性の社会進出が促進される!
ぶっちゃけ扶養控除なくして税収増やしたいって前から思ってた!
というのが国の意見だそうです。
その代わり夫婦合算での申告で世帯単位で課税をするとかいうアメリカ的制度も検討に入れているみたいです。
まとめ
103万までは所得税の扶養で38万控除。何の問題もない。
130万までは社会保険の扶養にはいるので保険料がかからない。夫婦ならここまではそんなに影響ない。
130万超えて150万まではほぼタダ働き。下手したらマイナス。
国は女性を生かすために、扶養控除をなくして、103万に囚われずに働く形をつくりたい。
あたりまえのことをあたりまえに
あたりまえのことを当たり前にやる。
簡単そうにみえてなかなか難しい。
あたりまえのことというのは、感情ではなくて論理に基づいている。
しつけとか慣習とか、なんかしらの理由があって存在している。
感情をコントロールして、論理に従わせる、それをずっと続けるというのは容易ではない。頭で考えるよりすごく難しいこと。
あたりまえのことを続けていれば、世の中の上から1%には入れる。それくらい難しい。
また、あたりまえのことというのはその人のいる環境によっても異なる。
前のコミュニティではあたりまえのことでも、今の所では違うというのは多々ある。
よい習慣をもつコミュニティに入れば、そこのあたりまえに従うだけで、スムーズによい方向へ向かえる。
逆の場合、あたりまえに逆らわなくては前に進むことができない。
自分にとってのあたりまえを少しずつよい方向へ更新していくことが、主体的でよい人生なのではと思う。
あたりまえによい人生がおくれる世の中でありますように。